故郷忘じがたく候
京都に講演を聴きに行ってきました。歩いていて街中に祠をいくつも見つけた。
新幹線の中など行き帰りに『サラン~故郷忘じたく候』(荒山徹)を読了。
元々、「故郷忘じたく候」という題名に惹かれて買ったものである。
同じ題名の司馬遼太郎作品がある。以前に読んで感銘をうけた覚えがあった。
豊臣秀吉の慶長の役の折に多くの陶工たちが拉致されてきたという説がある。
薩摩藩主・島津義弘は、鹿児島の城下町の近くの苗代川に土地と屋敷を与え、
武士待遇で遇した。江戸時代は風俗・言語も朝鮮のままで集落を為したという。
敗戦時の外相・東郷茂徳がその子孫であるという。
司馬遼太郎は、沈寿官の祖先が貴族であったとしているが、荒山徹の解釈は
全く違っている。
荒山徹は、「李氏朝鮮王朝の支配者である両斑は、朱子学を重んじ、内面の
徳や精神性といった形而上のものを貴んだ反面、手に職~すなわち技術とい
うものを不当なまでに賤しんだ。沙器匠、その身分は賤民である。と同時に、
中央、地方の官庁に隷属させられた自由なき奴隷民であった。生殺与奪の
権は、すべて官吏に握られていた」と書く。
だから、陶工は拉致されたのではなく、自由を求めて日本に来たのだという
のである。史実はわからないが面白い視点ではある。
新幹線の中など行き帰りに『サラン~故郷忘じたく候』(荒山徹)を読了。
元々、「故郷忘じたく候」という題名に惹かれて買ったものである。
同じ題名の司馬遼太郎作品がある。以前に読んで感銘をうけた覚えがあった。
豊臣秀吉の慶長の役の折に多くの陶工たちが拉致されてきたという説がある。
薩摩藩主・島津義弘は、鹿児島の城下町の近くの苗代川に土地と屋敷を与え、
武士待遇で遇した。江戸時代は風俗・言語も朝鮮のままで集落を為したという。
敗戦時の外相・東郷茂徳がその子孫であるという。
司馬遼太郎は、沈寿官の祖先が貴族であったとしているが、荒山徹の解釈は
全く違っている。
荒山徹は、「李氏朝鮮王朝の支配者である両斑は、朱子学を重んじ、内面の
徳や精神性といった形而上のものを貴んだ反面、手に職~すなわち技術とい
うものを不当なまでに賤しんだ。沙器匠、その身分は賤民である。と同時に、
中央、地方の官庁に隷属させられた自由なき奴隷民であった。生殺与奪の
権は、すべて官吏に握られていた」と書く。
だから、陶工は拉致されたのではなく、自由を求めて日本に来たのだという
のである。史実はわからないが面白い視点ではある。
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