坂本龍馬/脱藩の道
土佐紀行2日目は、レンタカーを借りて坂本龍馬の脱藩の道を
たどって檮原へ出かけた。
司馬遼太郎は「街道をゆく/檮原街道」で次のように書き出す。
「土佐(高知県)に、檮原とよばれる山ふかい町がある。
ーーーユスハラは、土佐のチベットやきに。
などといわれた」
「檮原は、ほとんど桃源境ともいっていいような僻地でありながら、
教養の伝統がある。幕末、そういう小さな地域から何人もの志士
を出し、ほとんどが非業にたおれた。著名な者をあげれば、天誅
組の首領格だった吉村虎(寅)太郎がいる。虎太郎はこの僻地の
郷士の出ながら、水準以上の漢詩をつくり、和歌もよくした」
各地に茶堂が保存されている。司馬さんも興味をもったらしく、か
なり詳しく述べている。
案内板も含めて、「脱藩の道」の宣伝は各地でなされていた。そして、
檮原から韮ヶ峠までも山道は舗装はされているが狭い道で、対向車
があれば、すれ違うことができない。龍馬たちは、この坂を歩いた。
韮ヶ峠は、土佐領と伊予領の国境である。
「幕末の土佐名物は、脱藩だった。脱藩者はほとんどは郷士または
それ以下の層のひとびとだった。かれらは、関所を脱け出て数歩で
も伊予領に入ると、申しあわせたように、《これからは、オラ・オマン
(おれ・おまえ)でいこう》と言いかわしたといわれる」(『街道をゆく』)
身分統制の厳しかった土佐での、この申しあわせは「土佐人の自由
と平等へのあこがれ」をあらわしている。まさしく、「自由は土佐の山
間より」である。
さて、檮原への途中に「千枚田」がある。
「万里ノ長城も人類の遺産だけど、檮原に随処にあるという千枚田も
大遺産や」と司馬遼太郎は言っている。
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