忘年会2(品川散策)

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大河ドラマ「龍馬伝」の影響は多大である。
全国各地の坂本龍馬ゆかりの地が街おこしに活用している。
品川・立会川駅周辺も坂本龍馬の旗が林立している。
品川がなぜ坂本龍馬と関係があるのか?
嘉永6年(1853)6月、ペリー艦隊が浦賀にやってきた。
いわゆる黒船来航の時、坂本龍馬19歳(数え年)の時である。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』には次のように書かれている。
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浦賀沖の四隻の黒船は幕府への要求態度がいたって強硬で、
場合によっては江戸湾もなかに押しこんできて江戸を砲撃する
気配さえみせているという。
幕府はろうばいし、芝、品川などに屋敷をもつ大名に海岸防備
を命じた。
土佐藩にも、下命された。藩では江戸府内に七つほどの上下
屋敷をもっており、幕命に該当する屋敷としては、芝、鮫洲、そ
れに品川屋敷がある。
竜馬らは、品川に送られることになり、早暁、隊伍をくんで鍛冶
橋屋敷を出た。
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この品川屋敷(下屋敷)に若い坂本龍馬が居たということから
浜川砲台までの道を歩いたと思われている。その道が立会川
駅の前を通っている。歩いて数分で浜川砲台跡である。
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礎石のみが残っている。
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何年か前にも来たことがある。但し、その時は佐伯泰英の小説
の舞台を訪れた時のついでに龍馬像を見にきた。その時にはな
かったが今年になってできたのが次の写真である。
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北浜川児童公園(坂本龍馬像)→浜川橋(涙橋)→浜川砲台跡→土佐藩
下屋敷跡→山内容堂の墓→海晏寺→海雲寺→品川寺→旅篭「釜屋」跡
を案内してもらった。
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その後は、「楽しい仲間たち」との忘年会で土佐の家庭料理を食べながら
おいしい酒に酔った25日であった。






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