沖縄紀行(南部戦跡)
沖縄の2日目。
恩納海岸から南下して、「海軍司令部壕」へ。
23年前か10数年前のどちらかで来ているはずなのだが、全く記憶にない。
地下壕を作っている様子が描かれた絵が展示してあった。
大田司令官は「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」と
電報を打って、幕僚とともに壕内で自決した。しかし、戦後の沖縄は戦時中と同じように
本土防衛の捨て石状態は変わっていない。「ご高配」はどこに消えてしまったのか。
白梅の塔は、第二高等女学校の看護隊を慰霊している。ひめゆりの塔が有名であるが
多くの学徒看護隊があった。
ひめゆりの塔も3度目であるが記憶とは違っていた。
南部戦跡にはたくさんの慰霊塔が建っている。
その中で「魂魄の塔」は、避難民や敗残兵がナパーム弾で焼き殺された場所にある。
住民の手によって集められた遺骨が納骨されている。
恩納海岸から南下して、「海軍司令部壕」へ。
23年前か10数年前のどちらかで来ているはずなのだが、全く記憶にない。
地下壕を作っている様子が描かれた絵が展示してあった。
大田司令官は「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」と
電報を打って、幕僚とともに壕内で自決した。しかし、戦後の沖縄は戦時中と同じように
本土防衛の捨て石状態は変わっていない。「ご高配」はどこに消えてしまったのか。
白梅の塔は、第二高等女学校の看護隊を慰霊している。ひめゆりの塔が有名であるが
多くの学徒看護隊があった。
ひめゆりの塔も3度目であるが記憶とは違っていた。
南部戦跡にはたくさんの慰霊塔が建っている。
その中で「魂魄の塔」は、避難民や敗残兵がナパーム弾で焼き殺された場所にある。
住民の手によって集められた遺骨が納骨されている。
この記事へのコメント