曲がり角を曲がった先に
今日は、NHKの朝ドラ「花子とアン」の最終回でした。
最近は、戦争の悲惨さを訴える場面があり、首脳(会長や経営委員の一部)に
抵抗する現場の心意気を感じていました。
蓮さま(宮本蓮子)がラジオで語ったシーンがその一つです。
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私が今日ここでお話ししたいのは平和の尊さでございます。先の戦争で
私は最愛の息子純平を失いました。私にとって息子は何事にも変えがたい
存在でございました。
お母様は僕がお守りします。幼い頃より息子はそう言って母である私をい
つも守ってくれました。子を失うことは心臓をもぎ取られるよりも辛いことなの
です。
私は身をもって知りました。もしも女ばかりで政治を任されたならば戦争を
決してしないでしょう。可愛い息子を殺しに出す母親が1人だってありましょう
か。もうこのような二度と悲痛な思いをする母親は生み出してはなりません。
もう二度と最愛の子を奪わせてはならないのです。
戦争は人類を最大の不幸に導く唯一の現実です。最愛の子を亡くされたお
母様方、あなた方は一人ではありません。同じ悲しみを抱く母が全国に大勢
おります。私たちはその悲しみをもって平和な国を作らねばならないと思うの
です。私は命が続く限り平和を訴え続けて参ります。
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実際の白蓮(宮崎燁子)は、昭和25年(1950)朝鮮戦争が起こり、警察予
備隊(後の自衛隊)が組織された時に「国際悲母の会」を立ち上げ、各地で平
和を訴えていた。
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国境はもはや、不要のものだと思う。地球上の海も陸も、すべては全人類の
共有財産であり、自然が与える無差な恵であり、一国や一民族の独占すべき
ものではない。
全人類の生存と幸福を追求するためだといって、暴力に訴えることは、意味
をなさない。それは平和的な手段によってのみ打開されるべきものである。
先年の戦争で、日本にはたくさんの犠牲者がいる。これらに対して、国はな
んの救護もしていない。国民を偽って戦争にかりたてた政府が、このうえにま
たもや再び人民を戦争に追いやろうとする。その結果として残るものは、混乱と、
叛逆と、殺りくと、ついには滅亡だけであろう。
『日本評論』昭和26年「片隅からの言葉」
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今日の「赤毛のアン 出版記念会」で、花子がアンの言葉を紹介して、「いま
曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がった先に何があるのかは、わからないの。
でも、きっと一番良いものにちがいないと思うの」と言っていた。
しかし、あの時代だからアンの言葉は正しいのだけれど、いま、私たちが曲が
った先にあるのは、花子や蓮子が苦しんだ世界=軍国日本ではないのだろうか。
最近は、戦争の悲惨さを訴える場面があり、首脳(会長や経営委員の一部)に
抵抗する現場の心意気を感じていました。
蓮さま(宮本蓮子)がラジオで語ったシーンがその一つです。
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私が今日ここでお話ししたいのは平和の尊さでございます。先の戦争で
私は最愛の息子純平を失いました。私にとって息子は何事にも変えがたい
存在でございました。
お母様は僕がお守りします。幼い頃より息子はそう言って母である私をい
つも守ってくれました。子を失うことは心臓をもぎ取られるよりも辛いことなの
です。
私は身をもって知りました。もしも女ばかりで政治を任されたならば戦争を
決してしないでしょう。可愛い息子を殺しに出す母親が1人だってありましょう
か。もうこのような二度と悲痛な思いをする母親は生み出してはなりません。
もう二度と最愛の子を奪わせてはならないのです。
戦争は人類を最大の不幸に導く唯一の現実です。最愛の子を亡くされたお
母様方、あなた方は一人ではありません。同じ悲しみを抱く母が全国に大勢
おります。私たちはその悲しみをもって平和な国を作らねばならないと思うの
です。私は命が続く限り平和を訴え続けて参ります。
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実際の白蓮(宮崎燁子)は、昭和25年(1950)朝鮮戦争が起こり、警察予
備隊(後の自衛隊)が組織された時に「国際悲母の会」を立ち上げ、各地で平
和を訴えていた。
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国境はもはや、不要のものだと思う。地球上の海も陸も、すべては全人類の
共有財産であり、自然が与える無差な恵であり、一国や一民族の独占すべき
ものではない。
全人類の生存と幸福を追求するためだといって、暴力に訴えることは、意味
をなさない。それは平和的な手段によってのみ打開されるべきものである。
先年の戦争で、日本にはたくさんの犠牲者がいる。これらに対して、国はな
んの救護もしていない。国民を偽って戦争にかりたてた政府が、このうえにま
たもや再び人民を戦争に追いやろうとする。その結果として残るものは、混乱と、
叛逆と、殺りくと、ついには滅亡だけであろう。
『日本評論』昭和26年「片隅からの言葉」
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今日の「赤毛のアン 出版記念会」で、花子がアンの言葉を紹介して、「いま
曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がった先に何があるのかは、わからないの。
でも、きっと一番良いものにちがいないと思うの」と言っていた。
しかし、あの時代だからアンの言葉は正しいのだけれど、いま、私たちが曲が
った先にあるのは、花子や蓮子が苦しんだ世界=軍国日本ではないのだろうか。
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