保阪正康講座/昭和史の謎

中日文化センターの講座に参加してきました。
保阪さんの講座は3期目です。今日は、「日本人はどのような思想を
持ったか」のテーマで、なぜ日本人は哲学者や思想家にならないのだ
ろうを確認しようということでした。
保阪さんは、「明治維新から20年近くの間、日本は二つの流れが主
流になっていた。一つは欧米思想の紹介ともう一つはそれに抗する日
本主義的な情念の発露であった」と言います。
保阪さんによれば、柄谷行人の「交換様式という観点」が世界中から注目
されているらしい。今日のテキストは、柄谷行人『帝国の構造』の「明治維
新以後」でした。
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旧帝国およびその周辺では、君主制はほとんど消滅しました。しかし、
産業資本主義的に見て最も発展している日本に、天皇制がまだ残って
いる。これをどう説明すればよいのでしょうか。亜周辺という概念がその
ために必要です。日本の天皇制は、亜周辺であることによってのみ可能
だったのです。
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柄谷は、「東アジアの近隣諸国との間によい関係を築くことができない」
と断言しています。その訳は、亜周辺ゆえに「帝国のあり方を理解でき
ない」からだと言うのです。
結局、内に引きこもるか、攻撃的に外に向かうかしかできないと言うので
す。鎖国した江戸時代と侵略的な大日本帝国ということです。
ところが、柄谷は憲法九条を高く評価していて、「この理念は近代国家で
はなく、《帝国》に由来するものです。したがって、憲法九条は、もしそれを
真に実行するのであれば、たんに一国にとどまるものではない。それは
世界共和国への第一歩となりうるものです
」と書いています。
柄谷行人の名前は知っていましたが著書を読んだことも論文さえ読んで
いません。ただ、尼崎出身と聞いて興味を持ちました。

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