ファミリーヒストリー
NHKの「ファミリーヒストリー」で女優・賀来千香子の曾祖父である
賀来惟熊が幕末に民間で大砲を鋳造していたことを取り上げてい
ました。
大分県宇佐市安心院町佐田にある佐田小学校では、郷土の歴史
として賀来家のことを学んでいるということです。
賀来惟熊は、1853年から大砲鋳造に取り組み、1855年に反射
炉を完成させて国防のための大砲鋳造に成功する。しかし、薩長
と幕府が戦うようになり大砲が内乱の武器になったことで、1866
年に反射炉を破壊し、大砲も破棄してしまう。
賀来惟熊の次男だった惟準(高祖父)は、明治になって小学校を
作って村の子どもたちを教育する。村人たちは、反射炉に使われ
ていた耐火レンガを神社の塀壁として残し、現在の小学生に伝え
られている。
賀来惟熊が反射炉や大砲を破壊したこと、惟準が小学校を作った
ことに私は感動しました。そして、賀来家の家訓として「上から目線
ではなく」という謙虚な態度が大事にされてきたということに心を打
たれました。
賀来惟熊が幕末に民間で大砲を鋳造していたことを取り上げてい
ました。
大分県宇佐市安心院町佐田にある佐田小学校では、郷土の歴史
として賀来家のことを学んでいるということです。
賀来惟熊は、1853年から大砲鋳造に取り組み、1855年に反射
炉を完成させて国防のための大砲鋳造に成功する。しかし、薩長
と幕府が戦うようになり大砲が内乱の武器になったことで、1866
年に反射炉を破壊し、大砲も破棄してしまう。
賀来惟熊の次男だった惟準(高祖父)は、明治になって小学校を
作って村の子どもたちを教育する。村人たちは、反射炉に使われ
ていた耐火レンガを神社の塀壁として残し、現在の小学生に伝え
られている。
賀来惟熊が反射炉や大砲を破壊したこと、惟準が小学校を作った
ことに私は感動しました。そして、賀来家の家訓として「上から目線
ではなく」という謙虚な態度が大事にされてきたということに心を打
たれました。
この記事へのコメント
という言葉に強い衝撃と感銘を受けました。
成人して社会人となり、現役当時1000名程の組織の長となりましたが、
作業員には「人は宝なり」と語り乍ら、管理社員に対しての目線は格別に
厳しかった事を遅まき乍ら恥じ、反省して即翌日から姿勢を改め、穏やかに
周囲の方々と接するよう心掛けて居ります。
大変勉強になり感謝しております。