横井庄一記念館

IMG_20191030_140114.jpg
12月に、横井庄一関連の講演を聞く予定なので地元として調べておこうと「横井庄一記念館」に行ってきました。日曜日のみ開館なので看板もなく近くにはいるのだけど所在地が分からないので人に聞きました。横井庄一さんのことは知っているが記念館は知らないというので地図を見せると徒歩1分のところでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
横井庄一さんは大正4年(1915)3月31日、愛知県海部郡佐織村(現愛西市)に生まれました。昭和5年(1930)から豊橋市の洋服店に洋服仕立て職人として勤務したあと、昭和11年(1936)から名古屋市の実家で洋服仕立業を営んでいました。昭和13年(1938)5月に最初の召集で日中戦争に従軍し、昭和14年3月に召集解除となり帰国しました。ふたたび名古屋で洋服仕立業を営んでいましたが、昭和16年8月に2度目の召集を受け、満州へ派遣されました。
そして、太平洋戦争開戦以来日本軍が占領していたグアム島防備のため、昭和19年(1941)3月、横井さんたちの部隊はグアム島に移動しました。同年7月にはアメリカ軍がグアム島に来襲し、激しい戦いとなりました。しかし、日米両軍の戦力差は歴然としており、勝ち目がなくなった日本兵はジャングルへ逃げ込みました。ジャングルの中を移動しながら反撃することもかなわず、日本兵も減少してゆきました。横井さんたちは戦争が終わったことも知らずに隠れ続け、横井さんのグループも3人になってしまいました。
やがて、仲間の2人も亡くなり、最後の8年間は1人きりでした。発見されるまでに28年もジャングルにひそんでいたのです。発見されたとき、横井さんは56歳でした。
002_0000.JPG
1月24日の発見後、横井さんはグアム島のメモリアル病院に移送され、精密検査のため入院することになりました。やがて到着した日本人医師団とグアム島医師団との協議の結果、病院を転院するという形での帰国が決まり、2月2日に特別機で帰国されました。帰国した時、「恥ずかしながら生きて帰ってまいりました。」という横井さんの第一声に、多くの国民は「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えた『戦陣訓』を思い出しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
偶然、奥様がいらっしゃたので室内を見せていただけました。そのうえ、最近、発刊された絵本をいただきました。
001.JPG
横井庄一さんの資料の多くは名古屋市博物館に寄贈されていて、常設展でコーナーがあるそうです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント