城山三郎と捕虜収容所

日本福祉大学知多半島総合研究所の『知多半島の歴史と現在 No23』に捕虜収容所跡を残す会の活動を投稿しました。
これから数回に分けてその原稿をアップします。
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戦時中、ぼくの一家は有松駅で下車して三十分ほどの農村に疎開していた。中学生だったぼくは、毎日そこから勤労動員先である名古屋の工場に通った。     ( 中略 )
彼女は通り過ぎる客たちの顔を、ほとんど見ない。そして、伏し目がちに改札すると、すぐ視線をホームに落す。心もち肩をすぼめ、消え入りたいような風情である。定期を改めるという役割に恐縮し切っているようにもとれるが、また、遠くから近づいてくる不揃いな重い靴音、その靴音の運んでくる情景を思っておびえているようにも見えた。
靴音は、駅の北側の丘陵を下りてくる捕虜たちのものである。当時そこには藪だたみの中に臨時の捕虜収容所が設けられ、香港で捕えられた二百名ほどのイギリス兵が収容されていた。彼等は、六時五十分発の電車の直前に有松駅で折返す臨時電車に乗るため、時間ぎりぎりに丘を降りてくるのだ。                 
                     城山三郎『捕虜の居た駅』 *(1)
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はじめに
昨年(2018年10月28日)、有志の呼びかけによって「捕虜収容所跡について話し合う会」が開催された。呼びかけの趣意書には、「今は、多くの人々が生活の場として、日々平和な暮らしを営むこの緑区に於いて、かつて米英兵などの捕虜収容所がありました。その事は、名古屋市出身の作家・城山三郎氏の著書『捕虜の居た駅』という短編から、高校教員の馬場豊氏が丹念な取材をもとに『戯曲/捕虜のいた町』を出版され、俳優の《あまちん》こと天野鎮雄さん等によって上演され、多くの人の知るところとなりました。戯曲に出てくるお医者さんは実在の人でドラマの中でも心に残る物語となりました。そして今、収容所の施設のポンプ場らしき一部が残っていることが判明し、その場所を戦争遺跡として保存できたらという声が地元からありました」とあり、以前から興味のあったことなので参加したところ市・県会議員を含む29名が集まった。
私が収容所跡とともに城山三郎の文学碑の建立を主張したこともあって世話人の一人に誘われ、地域の市民運動に関わるようになったのである。この随想は、昨秋より始まった戦争遺跡保存の活動についての報告である。

注(1) 城山三郎『捕虜の居た駅』(「小説「中央公論」1961年夏季号)、
   馬場豊『戯曲/捕虜のいた町~城山三郎に捧ぐ』(中日新聞社2017年)所収。

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