城山三郎と捕虜収容所4

4.地域への広報活動
 捕虜収容所跡を残す会は、「①収容所のポンプ小屋跡と思われる遺構を、何らかの形で残し、説明プレートを設置する。②小説「捕虜の居た駅」を書いた作家・城山三郎氏の事蹟を記した文学碑(あるいは説明プレート)を設置する」の実現を目指してその活動を広く理解してもらうためにイベントを企画していった。
 同時に、私は城山三郎氏の別荘を特定しようとした。「私たちが住んでいたのは、少し先に桶狭間古戦場を見下ろすゆるやかな丘陵地*(7)」と「豊明村間米1225番地*(8)」を根拠に調査したが豊明市役所、法務局、愛知県公文書館などから証拠となる資料・文書は出てこなかった。
 しかし、昭和10年(1935)年頃に分譲地として開発された「新有松豊明台」ではないかと私は推定している。城山三郎氏の実家を継ぐ杉浦秀一氏から「別荘は中京競馬場に売却したと聞いている」という証言もあるので間違いない。

 (1)学習会と跡地見学
 4月21日、有松の棚橋家住宅(国登録有形文化財)において学習会を開催し60人が参加した。
私は収容所跡と城山三郎氏の別荘のあった場所(現中京競馬場)への案内・説明を担当した。この学習会に中日・朝日新聞の取材があり記事として大きく取り上げられた。*(9)
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捕虜収容所跡遺構のポンプ室基礎 *(10)

(7)城山三郎『指揮官たちの特攻』(新潮 社2001年)
(8)井上紀子『城山三郎が娘に語った戦争』
 (朝日新聞社2007年)に城山三郎宛の 手紙の写真が掲載されている。
(9)中日新聞4月22日朝刊市民版、
  朝日新聞5月6日朝刊愛知版
(10)馬場慎一・土木学会会員の調査で、平面寸法は縦2.1m×横2.1m、壁厚はレンガ厚10cm+モルタル仕上げ1cm、
レンガ寸法は幅10cm×長さ21,5cm×厚さ 6cm、でポンプ室基礎、あるいは下部水槽と推定されるとしている。

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