作文集『尼崎のこども』

資料を探していて、本来の目的である資料ではなく別のものが出てくることがよくあります。今回は、1955年の《作文集『尼崎のこども』第六回尼崎市教育祭記念》に掲載された小学校2年生の時の「赤とんぼ」という詩が出てきました。
-------------------------------------------------------------
「あっ 赤とんぼだ」
よし 目をまわしてやろう
おや かきねにとまった
そっといってやろう
あっ にげた
しつこいやつだなあ
よし あみでとってやろう
そら、とった
あ、くびが ちぎれた

--------------------------------------------------------------
評 元気で赤トンボをとったようすがよめていますね

1・2年生の時の担任が佐々木先生(林先生?)が《作文の会》の人だったので、日記や詩、作文をよく書いていました。そのお陰で書くことが好きになりました。同じ作文集に掲載されている人の中に高校時代の友人の名前もありました。もう一つは、 『下坂部校報』(1956年12月発行)に作文が掲載されていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ひこうき          三の六 池田憲一

ぼくらは、二十七日にもけいひこうきをつくりはじめました。
かえってからつばさをつけて、二十八日に学校へもっていきました。
学校で紙をはってからとばすと、ぐぅんといって空へあがりました。
とんだとおもって見ていると、すっとんと、おちてきました。
そしたらみんなが、「やぁい。池田のんついらく号やなあ」といったのではずかしかった。
ぼくはかえってから、むらいくんと紙をかってはりかえました。
また二十九日にもってとばすと、またついらくしました。
先生が「まえがおもい」といったのでぼくはつばさをまえにしてもってかえりました。
かえって、むらいくんとはたけでとばすと、
ものすごく遠くまでとんでいってちゃくりくしたので
「せいこう」といってよろこびました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同じ『下坂部校報』の中に「広子ちゃん其の後」という記事がありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本年一月突然姿を消した広子ちゃん。世間の皆さん方の絶大なるご協力の甲斐もなく約一ヶ年を過ぎる今日依然としてその行くえはしれません。十二月の寒風吹きすさぶこの頃広子ちゃんはどこでどんなにしているのでしょう。人の噂も七十五日と申しますが我々育友会としては決して見捨てる事なく、下火になりつつある広子ちゃんさがしに一層の拍車をかけ一日も早く元気な姿が見られる様にと祈りあらゆる機関を通じて世のみなさん方の御協力をあおいでいます。去る十二月始めには小田補導協議会と手をとりまして県下各市町村教委に捜査依頼の書面を発送、一方去る十二月十五日には朝日放送より全国に放送するなど世の中の御協力を得ぐべく努力しております。
年の瀬も迫り、何かと忙しい今日、再び第二の広子ちゃんが出ない様お互いが注意して、不幸な事が起こらぬ様充分注意したいものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
広子ちゃんというのは、私と同学年か一つ下の子で当時私たち(団塊世代一期生)は児童数が多くて教室が足らないので午前と午後の二部授業をしていました。そういう状況で午後からの授業の人は午前中は外で遊んでいたのです。私たちの間では、広子ちゃんは誘拐されたのだと言われていました。この事件がきっかけととなって二部授業は行われなくなりました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント