あしたのジョーと力石徹

『自由に生きるとはどういうことか』橋本努(ちくま新書)の中に《あしたのジョー》がでてくる。矢吹丈とライバル・力石徹の壮絶な試合の後、勝者である力石が死ぬ。橋本はそのことを次のように取りあげている。
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この力石の死は、たんなる「マンガ」の出来事と思われるかもしれないが、しかし「60年代の終焉を象徴する死」でもあった。1970年1月『少年マガジン』連載の『あしたのジョー』で力石徹が死去すると、『あしたのジョー』の主題歌の作詞家で、ボクシングの愛好家でもあった寺山修司は、3月24日に講談社本社の講堂を借りて、力石徹の告別式を執り行っている。
また「よど号事件」の首謀者田宮高麿は、同年3月31日、「我々は明日のジョーである」という宣言を残して、羽田発福岡行きの日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に亡命している。
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この文に触発されて、思い出したことがあってアルバムを出してみた。1970年3月30日の産経新聞が貼ってある。
「雑誌社や作者には、ファンたちの哀悼の声、抗議の電話が殺到した」という記事が掲載され、その記事の中に『龍谷大学児童文化研究会有志と名乗る手紙には、こう書いている。
「君は闘いつづけた。殺し屋と異名をとる君は、宿敵、矢吹丈との真摯(しんし)なる闘いに全てをかけ、勝利して死んだ。ぼくたちは忘れないだろう。誰が君を殺したのか。君がぼくたちに示してくれた闘いの心を1970年のぼくたちに実現しよう。君の死は矢吹の死であり、ぼくたちの死だ。だから、ぼくたちは支配者を倒すその日まで闘わねばならない」』
そして、橋本努が書いているように「政治の季節の終焉」となる。私の所属した児童文化研究会は、次のような立て看板を学内に掲示した。
『解散声明 米帝のカンボジア侵略、ビートルズの解散、力石徹の死に抗議して、当、児童文研は、ここに解散することを会員各位、理解者に声明します。 1970年5月12日』

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