3・11に想う

5年前、午後2時46分に東日本大震災が起こりました。
その時、私は自分の部屋にいて大きな揺れに、当時、血圧が高い
時にフラフラしていたので、また血圧が高くなったと思いました。
名古屋でも、かなり長い間揺れていたと記憶しています。
地震とわかってテレビをつけると津波が来ると警報が出ていました。
その後の釜石や気仙沼、仙台空港と津波の恐ろしさをただ見ている
だけでした。
その年の10月にテレビで見た場所の写真を撮りに出かけて、大川
小学校や南三陸町、陸前高田の惨状にシャッターを切れずに帰って
きました。
今日は、ピアゴで2時46分を迎えたのですがアナウンスで黙祷を呼
びかけていました。
「3・11」から私たちは何を学んだのだろうか?
福島の原発事故はコントロールされていないのもかかわらず、各地
の原発の再稼働が平気で行われようとしています。大津地裁で高浜
原発の稼働停止の判決が出たので現在3・4号機は停止しています。
原発事故によって誰が責任を取ったのでしょうか。
東京電力、原子力委員会、政府、建設した当時の首長・政府などの
誰も事故の責任を問われない。だから、今も再稼働を推進するので
しょう。

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