城山三郎さんの別荘探し

2日に城山三郎さんの『指揮官たちの特攻』にある記述を書きました。
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そのとき、私たちが住んでいたのは、少し先に桶狭間古戦場を見下ろす
ゆるやかな丘陵地。春には野生のツツジが咲きみだれる灌木や小松の
生える一帯に、百五十坪から二百坪単位で造成された分譲地である。
名古屋郊外で別荘にもなるし、老後の住まいにでもと、父が三区画買い、
とりあえず三部屋ほどの家を建てていた。
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『城山三郎伝』(加藤仁)では「名古屋駅から三十分ほど名鉄電車に乗っ
て有松駅で降り、そこから十分ほど歩いた小さな丘陵地にある家である

と書かれている。
そこで、最近、その家を特定しようと豊明市役所に行ったり、今日は豊明
図書館で資料を調べました。「仮称・有松捕虜収容所跡を残す会」の共同
代表の馬場 豊さんに「有松村間米」(城山さんの奥さんが交際中に出した
葉書の宛名)と教えてもらったのですが、「有松駅から十分」の条件となると
限られてくるのです。
どう見ても、中京競馬場の周辺となるのですが特定できません。
昭和16年に、二村山万松園住宅分譲として1万5000坪が二村峠地蔵堂
南側に造成されたという記事はあったのですが二村山まで有松駅から十
分では行くことができないと思うのです。
城山さんは「丘続きの北西の一劃に、開戦後間もなく捕虜収容所が建てら
れ」たと書いています。城山さんの家の丘続きという意味だと思うのです。
そうすると、中京競馬場周辺しか考えられないのです。
歴史探偵は面白い。

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