テーマ:昭和歌謡

「北酒場」逝く

今日の朝刊で「喝采」「北酒場」の作曲者である中村泰士さんが20日に81歳で亡くなったことを知りました。夕刊では、「北酒場」の作詞者であるなかにし礼さんが82歳で23日に亡くなっていたことが報じられています。昭和歌謡のファンとしては二人とも大事な人です。 なかにし礼さんは、旧満州からの引き揚げ者で大学に入学してからシャンソンの翻訳を…
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昭和歌謡「高校三年生」「喜びも悲しみも幾年月」など

昭和歌謡の歌碑めぐりも最終盤にかかりました。今回の福島では5つの歌碑を撮影しました。福島は、朝ドラ「エール」の関係で古関裕而・伊藤久男で盛り上がっているのですが、郡山駅前に「高校三年生」の歌碑があるように、作詞家・丘灯至夫の出身地(小野町)です。 小野町の《ふるさと文化の館》内に丘灯至夫記念館があり、「高校三年生」の歌碑があります…
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「みだれ髪」と《賽の河原》

先日、福島に行ってきました。白河市で開催された「中山義秀文学賞公開選考会」のためでしたが前後に周辺各地を廻りました。その一つが塩屋崎灯台のある薄磯海岸にある洞窟を見る目的がありました。それは、美空ひばりの《みだれ髪》について書いた大西忠治さんの文章を確認するためでした。(7月13日の記事に書きました) ーーーーーーーーーーーーーー…
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ここはどこだ

今日は、「9・1 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」がオンラインで開催された。実際に参加したのは実行委員の関係者だけでした。歴代の東京都知事が必ず寄せていた追悼文を小池都知事は数年前から出していません。朝鮮人犠牲者を認めない勢力に迎合しているのでしょう。残念なことです。 デューク・エイセスの楽曲に『ここはどこだ』があります。作詞・永六…
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戦時歌謡の精神主義

今日は、《中日文化センター》の講座「保阪正康が語る昭和史の謎」をオンラインで受講しました。 ところが文化センターの不手際で20分ぐらい映像が出なくて、会場で待っている人は大変だったと思います。 保阪さんは、《太平洋戦争はなぜ起こったか》と《日本人は近代の戦争の論理を理解していたか》のテーマで語り、「軍人は戦争を国家繁栄の一手…
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美空ひばり「みだれ髪」

あることを調べるために大西忠治さんの著書を読んでいて、『大西忠治教育技術著作集』の中に美空ひばりの「みだれ髪」について書かれていることを見つけました。 大西さんは、「みだれ髪」の3番の歌詞について書いています。「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋 暗や果てなや塩屋の岬 見えぬ心を照らしておくれ 一人ぼっちにしないでおくれ」につい…
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三岸節子記念美術館

久しぶりに《一宮市三岸節子記念美術館》に行って来ました。コレクション展「春を待つ」の入場者は、私と連れ合いのみで「三密空間」ではありません。三岸節子は、93歳で《さいたさいたさくらがさいた》を描き、翌年94歳で亡くなっています。三岸は「生命に執着し、執念を燃やす怖さが描けなければ、本当の桜を描いたことにはなりません。今の私なら描くこ…
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昭和歌謡「北国の春」

千昌夫の歌う「北国の春」は私の愛唱歌でもあります。カラオケに行っていた頃はよく歌いました。千昌夫が歌っているので岩手県のことを歌っているものだと思っていましたが作詞者の《いではく》の出身地・南佐久のことを書いているらしい。いではくは、作曲家・遠藤実のマネージャーでした。歌詞を受け取った遠藤実は「僕の探していたのは、これだよ」と叫んで…
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台風被害

今日は、台風の影響をもろに受けた日となりました。最初の計画では台風一過で天気も良くて、レンタカーを借りて只見町の河井継之助記念館へでもと考えていました。しかし、台風の被害の大きさから一刻も早く帰ったほうがいいと思いました。ところが、駅に行くと磐越西線は終日不通でした。高速バスはといえば高速道路が通行止めです。テレビの情報で東北新幹線は午…
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昭和歌謡「襟裳岬」

今回のツアーの前に歌碑撮影に行こうと思ったのは襟裳岬にある2つの歌碑が大きな理由でした。 1973年、母を亡くした森進一がそのショックから立ち直る楽曲だったと言われています。三番に出てくる《日々の暮らしはいやでもやってくるけど、静かに笑ってしまおう・・・》の歌詞が鬱屈気味だった森進一を勇気づけたのです。ところが、それまでの森進一の…
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昭和歌謡「石狩挽歌⌋

ツアー最終日です。 小樽散策の後に寿司を食べて打ち上げとなりました。散策中に6段ソフトクリームを食べました。8段もあったのですがすごく大きくてパスしました。 私は、みんなと別れて小樽貴賓館(旧青山別邸)に昭和歌謡の歌碑の写真を撮りに行きました。 歌詞にあるように「にしん⌋が出てくるので《にしん御殿》と呼ばれた青山別邸に…
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昭和歌謡「私鉄沿線」

先日、郡上で岐阜生研の仲間と懇親会をしました。 その途中の美濃に5月1日に歌碑が建立されたことを知らせてくれた 友人がいました。日程が合えば友人と久しぶりに会って話したかった のですが、友人の関わる集会の日と重なったために、私一人で訪れ ました。 野口五郎の「私鉄沿線」の歌碑です。 美濃市は、野口五郎の出身地ということで…
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昭和歌謡「なごり雪」

2泊3日の司馬遼太郎記念館ツアーの後、大分・津久見まで 足を伸ばしました。津久見駅前に作詞・作曲の伊勢正三さ んの出身地ということで歌碑があります。 伊勢さんは、《「つくみ駅⌋に寄せて》という碑文を書いて います。 「なごり雪」については、いくつかの思いがあります。 学生時代に書いた短編小説のテーマが「な…
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昭和歌謡「舟唄」八代亜紀

三原市に行った帰りに福山・鞆の浦に寄り道しました。 八代亜紀の「舟唄」の歌碑が安国寺下のバス停にあるからです。 なぜ、ここに建立されたのかはわからないのですが、鞆の浦には 何回か行ったことがあるのに途中のバス停に歌碑があることは 知りませんでした。 鞆の浦は、坂本龍馬の《いろは丸事件》の舞台となった場所なの で以前に何回…
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昭和歌謡は永遠に

昭和歌謡の歌碑に関する本を書こうと準備中です。 『流行歌の精神史』は、最近購入した本ですが「やられた!」という気持ち です。コンセプトが似ているのです。 今、大型書店に行くと昭和歌謡関連の本が溢れています。基本は図書館 で借りているのですが写真は自分で持っている本です。 中には、受験参考書まがいの本…
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昭和歌謡紅白歌合戦

「平成最後」の○○とよく言われています。100日を切った平成ですが 昭和生まれの私は三代を生きることになります。 私にとって明治生まれというのは祖母のことでずっと昔という感じだった のですが、私自身が昭和生まれはずっと昔と言われるようになる訳です。 現在、「昭和歌謡の歌碑めぐり」の原稿を書いています。 その一環で紅白歌合戦の出…
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浜田真理子ライブ

今夜は、今池・ToKuzoでの《ふちがみとふなと》とのジョイント ライブでした。ところが、ふちがみとふなとが風邪のため声が出 ないというアクシデント。 ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を歌ったのですがハモらない酷 い出来でした。ザ・ピーナッツの地元でそれはないでしょうという 感じでした。 浜田真理子の歌は良かったのですが…
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昭和歌謡「いとしのエリー」

栗橋駅から離れた線路沿いの住宅地の中に公園があって、フェンスがサザンオールスターズの楽曲「いとしのエリー」の楽譜になっています。 「いとしのエリー」は、コミックバンドと誤解されていたサザンオールスターズの転換点となった楽曲です。1979年に3枚目のシングル盤としてリリースされました。 「いとしのエリー」の歌碑が、何故この公園…
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昭和歌謡「潮来笠」

「潮来笠」は、1960年にデビューした橋幸夫のヒット曲です。 橋幸夫は、この楽曲でレコード大賞新人賞を受賞しました。 私が中学1年生の時です。なぜか、この歌に魅せられてレコードは 買わなかったがラジオで流れる楽曲の歌詞を書き写して覚えました。 そして、遠足のバスの中で披露したのは言うまでもないことです。 佐原から潮来へのコ…
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昭和歌謡めぐり

小江戸・佐原の小野川沿いにある入船橋緑地公園に「大利根月夜」の 歌碑があります。 駅前でタクシーに乗って、潮来を目指しました。その途中に松村和子の 「帰ってこいよ」の歌碑が横利根大橋の袂にあります。作詞家の出身地 だそうです。 香取市は、潮来と並んで水郷地帯です。 三橋美智也が歌った「おんな船頭唄」は水生植物園の入口…
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昭和歌謡「雪の降る町を」・「孫」

今回の鶴岡行きで昭和歌謡の歌碑の写真を3枚撮れました。 「雪の降る町を」は、JR鶴岡駅前と鶴ヶ岡城址公園の二ヶ所にあります。 「雪の降る町を」は、昭和26年(1951)に連続放送劇の挿入歌として作 られました。それも、脚本の不足部分を補うために歌を入れて時間調整 したということです。 シャンソン歌手の高英男さんの高音の…
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昭和歌謡「瞳を閉じて」

ラジオの深夜番組への一通の手紙から「瞳を閉じて」は生まれた。 当時、長崎県立五島高校奈留分校に在学中だった藤原あつみさんが ユーミンの深夜番組に「私たちの校歌を作ってください」と手紙を書いた。 藤原さんは、五島高校の校歌が奈留島とは関係の無い歌詞なので教室 から見える奈留島の海や山のことを手紙に書いて、そのイメージを受け とっ…
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昭和歌謡「かえり船」

昭和歌謡の歌碑めぐりで佐世保に来ました。 十五年戦争の敗戦後に海外から多くの日本人が帰って 来ました。舞鶴が有名ですが佐世保もアジア各地から 帰還した港です。 バタやんこと田端義夫が歌った楽曲です。私も子ども の頃に聞いていた覚えがあります。 資料館もありましたが舞鶴に比べたら小さなものでし た。この後に名勝・展海峰に…
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50年来の記憶違い

高校野球には並々ならない想いを持っています。甲子園球場が近くに あったことや高校時代に応援団員だったからです。 古希を過ぎた今でも愛知大会はもちろんのこと甲子園大会にも足を運 ぶほどです。 昨年は、石川県能美市にある「栄冠は君に輝く」の歌碑を訪れました。 この歌碑について原稿を書いているところですが、大変なことに気付き …
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昭和歌謡「流転」

昭和12年(1937年)に上原敏が歌って大ヒットした楽曲です。 日中戦争が7月7日に始まっています。その年には淡谷のり子の 「別れのブルース」、ディック・ミネの「人生の並木道」がヒットして います。時勢柄、よくこのような歌が発売されたものだと思います。 牧之原市細江にある照国寺に歌碑はあります。この地は、作詞 者の藤田まさ…
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歌碑と庚申塔

昨日のブログに書いた裾野市葛山地区の庚申塔を探しに朝6時に 出発しました。新東名が比較的空いていて9時前に着きそうになっ たので清水区にある梅蔭禅寺に行きました。 昭和歌謡の「旅姿三人男」の歌碑があります。 と、言うのも次郎長一家の墓所だからです。 任侠の次郎長は新政府側ではなく徳川のために一肌脱いだのです。 そのた…
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昭和歌謡の資料探し

私が昭和歌謡の歌碑に興味を持ったのは『昭和歌謡100名曲』 塩澤実信(北辰堂出版)を読んだからです。全5冊で500曲ある のですが全ての楽曲に歌碑があるわけではありません。 そんなことで旅行のたびに歌碑を訪れて5年目になります。 今年は、その一端を一冊にまとめたいと思っています。 今日は、その資料を求めて午前中は鶴舞図書館へ行…
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昭和歌謡(小樽)

小樽には何回も行ったことがあります。 石川啄木、小林多喜二、永倉新八など所縁の史跡を訪ねました。 石原裕次郎記念館も数回は行っています。ただ、昨年に閉館したのですが 小樽駅のホームにパネルが設置されていました。 裕次郎には、「おれの小樽」という楽曲があります。 小樽運河沿いにあるのですが積雪のために歌碑の全てを見ること…
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昭和歌謡・釧路、札幌

釧路の幣舞橋の袂に「釧路の夜」(美川憲一)の歌碑があります。 「柳ヶ瀬ブルース」と同じ宇佐英雄の作詞/作曲の楽曲です。 冬季オリンピック札幌大会のジャンプ会場である大倉山ジャンプ台 のところにある「虹と雪のバラード」(トワ・エ・モア)の楽曲です。 札幌市内には羊ヶ丘展望台に石原裕次郎の「恋の町札幌」の歌碑 があり、作詞…
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昭和歌謡「あゝ新撰組」

壬生寺にある歌碑「あゝ新撰組」は三橋美智也が歌っている。 作詞・横井 弘、作曲・中野忠晴で1955年(昭和30年)の楽曲です。 この時代にしては新撰組を真っ当に扱っています。 昭和30年ということは、私が小学校低学年の頃で、鞍馬天狗の敵役 としての新選組が主流だった時代でした。 短い歌詞で見事に新撰組を描いています。 ー…
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