テーマ:歴史

勝海舟記念館

今日、大田区の勝海舟記念館から記念品が送られてきました。《大田区立勝海舟記念館》が出来たことを最近知りました。そして、設立委員会が寄付金を募集していたことも初めて知りました。その上、今も募集しているというので先日送金したら記念品の扇子が送られてきたということです。扇子とは、センスがないことです。せめて、クリアファイルぐらいにして欲し…
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おのれの利害

安倍首相による検察庁人事に対する介入問題(黒川検事長の定年延長)について「人事院の研究資料」によると黒川検事長が定年延長しても検事総長になれないことが明らかになりました。 ---------------------------------------------------------------------------- 2 勤…
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『信長公記』に書かれた丹羽長秀

今日は、一日中『信長公記(現代語訳)』の中に出てくる丹羽長秀の項目をパソコンに打ち込んでいました。パソコンに何度か「休憩しましょう」と言われてしまいました。【首巻】信長が入京する以前の記録の中の《5 平景清所持の名刀あざ丸》で斎藤道三が大柿城を攻めているときに奇怪なことがあったと書いている。  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…
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日韓の歴史認識問題

今日は、《愛知県AALA記念講演》を聞いてきました。講演テーマは「近現代朝鮮と日本~植民地支配そのものが問題とされる世界の流れの中で」で講師は庵逧由香・立命館大学教授です。庵逧さんは韓国史の《戦争動員体制》が専門の研究者です。最近の日韓における歴史認識問題に興味があったので参加しました。 庵逧さんは、日韓の間に多様な問題群があるが…
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日本人の歴史認識

中日文化センターの講座「日本人の歴史認識」を受講してきました。講師は吉田 裕・一橋大学特任教授です。『日本軍兵士~アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)の著書など近・現代史で有名な研究者です。吉田 裕さんは「過去の歴史を再現することは出来ない」と言います。「再構成する」のだと言うのです。異なる歴史認識をすりあわせるときに「歴史叙述(…
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永倉新八の命日

今日は、新撰組・永倉新八の命日です。 天保10年(1839年)に江戸で生まれ、幕末の新撰組二番隊長として池田屋事件でも活躍した。明治になって北海道小樽に移り、杉村義衛と改名する。明治15年(1882年)から4年間、樺戸集治監(刑務所)の剣術師範を務め、看守に剣術を指導し、退職後は東京牛込にて剣術道場を開く。明治42年(1909年)…
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初めての比叡山

初めて比叡山を訪れました。私の記憶では京都駅からバスで北上してロープウェイで登るというのが比叡山だったのだけれど、大津側から比叡山ドライブウェイを使って比叡山へ行く方法があることを知りました。ただ、通行料がバカ高いことに疑念は残ったのですが。比叡山は、東塔、西塔、横川の三つの地区に分かれています。 西塔の釈迦堂は信長の焼き討ち…
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明智一族の墓

今日は「愛知ウォーキング城巡り倶楽部」主催のバス見学ツアーに参加してきました。比叡山と明智光秀関連の坂本城址を廻るツアーです。マイクロバスに乗った28人のツアーでした。明智光秀一族の墓がある西教寺は坂本城の総門を移築したものと言われています。 明智光秀の墓は何カ所かあるのですが、案内人の七種さんによるとどの墓も横に亀裂が入って…
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岩村城址

岐阜駅前で泊まって、今日は天気もいいので岩村に出かけました。岩村は女城主で有名でした。その上に、朝ドラ「半分、青い」で一気に一大観光地になりました。放映中は大変だったようですが、放送後1年以上になった今日も日曜日だけあって観光バスが来ていました。岩村城址にも多くの人が歩いていました。 登城口から急な登り坂を800mで本丸です。…
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城山三郎と捕虜収容所

日本福祉大学知多半島総合研究所の『知多半島の歴史と現在 No23』に捕虜収容所跡を残す会の活動を投稿しました。 これから数回に分けてその原稿をアップします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 戦時中、ぼくの一家は有松駅で下車して三十分ほどの農村に疎開していた。中学生だったぼくは、毎日そこから勤労動員先で…
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明智光秀生誕地

私の古文書の師匠である田中 豊さんが大垣で講演をするというので出かけました。来年の大河ドラマの主人公・明智光秀について「明智氏一族宮城家相伝系図書」など史料を基に田中さんは光秀の生誕地を大垣市上石津町であると断定しています。明智光秀の生誕地は①岐阜県可児市明智城、②岐阜県恵那市明智町明知城、③岐阜県山県市美山町、④岐阜県大垣市上石津…
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名古屋市博物館~横井庄一

昨日は、「愛知県民のつどい」の前に名古屋市博物館に行きました。常設展に《横井庄一コーナー》があるので、先日の続きで見に行きました。記念館とほぼ同じ展示だったように思いました。 横井さんがグアムで生活していた様子がわかる資料と写真が展示されていました。 その後は、金山でMILLEAの無料ライブがあるとラジオ番組で言っていたので…
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安倍首相と東條英機

太平洋戦争が始まった直後の帝国議会で全会一致で「陸海軍感謝決議案」を可決している。さらにこの議会には「言論、出版、集会、結社等臨時取締法」が提出された。その審議過程での勝田永吉議員と東條英機首相のやりとりがまったくかみあってない様子を保阪正康さんが『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)で次のように書いています。 --------…
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横井庄一記念館

12月に、横井庄一関連の講演を聞く予定なので地元として調べておこうと「横井庄一記念館」に行ってきました。日曜日のみ開館なので看板もなく近くにはいるのだけど所在地が分からないので人に聞きました。横井庄一さんのことは知っているが記念館は知らないというので地図を見せると徒歩1分のところでした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…
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特攻隊員の遺言

私が好きなノンフィクション作家の保阪正康さんの著書のエッセンスをまとめた『昭和史の急所』(朝日新書)の中に次のような文章がある。 --------------------------------------------------------------------------- 上原良治は、昭和18年11月に学徒出陣で慶応大学経済…
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関寛斎と「なつぞら」

司馬遼太郎の小説『胡蝶の夢』に登場する関寛斎は、阿波徳島藩(蜂須賀家)から官軍の野戦病院長となり戊辰戦争に従軍した。戊辰戦争後は、一介の開業医として過ごし、明治35年73歳の時に北海道・十勝の陸別に移住する。開拓する場所は札幌農学校に学んだ4男・又一が選定したと言われています。 又一の卒業論文は「十勝国牧場設計」という表題がついていま…
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新十津川町開拓記念館

明治22年8月、奈良県吉野郡地方が大暴風雨に襲われ、2403戸(人口12862人)の十津川郷は村の4分の1が壊滅する大惨事となりました。尊皇倒幕の功績もあった十津川郷なので政府の援助があり2489人が北海道に移住することになりました。新十津川町では、十津川郷のことを母村と呼んでいます。 移住者は、十津川郷から高野山⇒橋本⇒堺⇒…
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中日文化センターの講座

この半年、中日文化センターの2講座を受講していました。保阪正康さんの「昭和史講座」と川田稔・名大名誉教授の「満州事変」の講座です。石原莞爾と板垣征四郎が起こした柳条湖事件から始まった満州事変は、関東軍の暴走に引きづられて満州国建国まで突っ走ったと思っていました。世界恐慌の大不況から脱出するために満州を手に入れたと中学校では教えていました…
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特別展「2・8独立運動と3・1運動」

今年は、「3・1独立運動100周年」ということで、3月1日には現地ソウルで 記念イベントを見てきました。3・1独立運動の発端は、東京で在日留学生に よる「2・8独立宣言」が発表され、半島に伝わりました。 6月19日、東京に行ったのは高麗博物館の「3・1独立運動展」を見るためで した。在日韓人歴史資料館の特別展「2・8独立運動と3…
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歴史問題の読み解き方

映画「主戦場」では、日本会議系の人たちがいかに事実に基づかない 妄想の主張をしているかが明らかになりました。 7月6日から映画「主戦場」が名古屋の今池シネマテークでアンコール 上映されます。 『歴史戦と思想戦~歴史問題の読み解き方』山崎雅弘(集英社新書) は、「従軍慰安婦はいなかった」、「南京虐殺はなかった」、「GHQが日 …
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ファミリーヒストリー

NHKの「ファミリーヒストリー」で女優・賀来千香子の曾祖父である 賀来惟熊が幕末に民間で大砲を鋳造していたことを取り上げてい ました。 大分県宇佐市安心院町佐田にある佐田小学校では、郷土の歴史 として賀来家のことを学んでいるということです。 賀来惟熊は、1853年から大砲鋳造に取り組み、1855年に反射 炉を完成させて国…
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沖縄慰霊の日

今日は、南の方角に向けて黙祷する日です。 太平洋戦争の沖縄戦が終わった沖縄慰霊の日です。 激戦地であった沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で、太平洋 戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを追悼する「沖縄全戦没者追悼式」 が行われました。 安倍首相の空疎な挨拶に対しては「ウソつくな!」など多くのヤジが 飛びました。玉城知事は、政府の辺野古…
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高麗博物館

コリアタウンの大久保にある高麗博物館で開催されている「3・1独立 運動100年を考える」の展示が6月23日に終わるので間に合うよう に考えていました。 意外にも多くの訪問者がいて、解説を熱心に聞いていました。7階が 高麗博物館で8階が図書館になっています。 展示のパネルは、堤岩里虐殺事件や「3・1独立運動」を新聞はどう…
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日野の新撰組ふるさと歴史館

東京に行く時の楽しみは富士山が見れることです。 今日は、雲に遮られていました。 日野の「新撰組ふるさと歴史館⌋に初めて行きまし た。 夜は、行田の居酒屋でゆったりしました。
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日本近代史を学び直す

中日文化センターの講座を受講してきました。 「日本近代史を学び直す」は、満州事変について川田 稔・名古屋大学 名誉教授による講座です。川田さんは、日本福祉大学で同じ招聘教授 をしているときに親しくしていただきました。そして、私にとって興味のあ る講義を担当されていたので一度受講したいと思っていました。 今日は、永田鉄山の構…
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天安門事件30周年

今日は、天安門事件から30年の日です。 中国の人民解放軍が民主化を求める学生・市民を弾圧・虐殺した日から 30年が経ちました。 私自身は、決して嫌中派ではありません。しかし、現在の中国共産党には 批判的です。「権力は腐敗する」という定式から言えば、中国も日本も例外 ではありません。 《天安門事件》とは、1989年4月に中…
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名古屋城に入らない城巡り

《愛知ウォーキング城巡り倶楽部》主催の見学会に参加しました。 地下鉄・市役所駅に9:00集合だったので、7:30に家を出ました。 市内の私でさえそんなに早く出なければならなかったから愛知県下 からの人は大変だったことでしょう。 出発点は、空堀でした。大津橋から外堀跡を歩き、城下町を通って 四間道や円頓寺商店街を廻って、名城…
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オウムと歴史修正主義者

読み始めた『戦後最大の偽書事件《東日流外三郡誌》』が 面白い。あとがきの中に、この偽書にいち早く共鳴したの がオウム真理教の麻原彰晃だったと書かれています。 麻原は、月刊誌「ムー⌋の執筆者だったらしい。 オウム真理教に引き寄せられた高学歴な若者が多かったこ とに小林よしのりさんは、「現世はいずれ滅ぶ。だが麻原 に…
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織田信長の企画展

近場の企画展を見学しました。 東浦の「うのはな館」では《火縄銃展》でした。 織田信長が鉄砲を使った村木砦の戦いを取り上げていました。 1554年、今川軍と織田・水野(家康の生母・於大の実家)連合軍の 戦いです。 村木砦は、何回か探したのですが見つけることができなかった場所 でした。今回は、学芸員に聞いてたどり着きまし…
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刈谷散策

「愛知ウォーキング城巡り倶楽部」の見学会に初参加してきました。 60人を越える参加者と一緒に十念寺、椎の木屋敷跡、刈谷城址跡、 刈谷市歴史博物館を案内してもらいました。 主催者の七種英康さんの人柄が表れたような解説を満喫しました。 天誅組は、文久3年(1863)8月に孝明天皇による攘夷祈願のため 大和行幸が決定されたことに…
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