テーマ:歴史

オンライン講座

今日は中日文化センターの講座「保阪正康が語る昭和史の謎」を視聴しました。 冒頭で先日亡くなった半藤一利さんのことを語りました。半藤さんが「日本人は悪くないんだよ」と妻の末利子さんに言っていたことについて、悪いのは軍部と軍事教育をした側という意味だと保阪さんは言います。また、保阪さんが蒋国経にインタビューした時に「心理が武器と結合し…
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街道巡り(御油宿~赤坂宿)

今日は、愛知ウォーキング街道巡り倶楽部(AWK)で東海道の御油宿・赤坂宿を歩きました。名鉄・国府駅に30人近くが集まりました。講師の七種さんによるいつもながらの愉しい説明を聞きながら2時間半のウォーキングでした。 御油宿は、本陣2,旅籠屋62の宿場町です。大社神社には、長州征伐に際して14代将軍・家茂が戦勝祈願で短刀を奉納した、と…
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子孫が語る 土方歳三

今日は、朝日カルチャーセンターの講座を受講してきました。今年になって初めて地下鉄・バスに乗って栄町へ行きました。講師は、土方歳三記念館館長の土方 愛さん。何年か前の京都・淀で開催された東軍慰霊祭で話をしたことがあります。8月にも講座があったようですが私は知らなかった。今日は、新撰組以前の多摩時代の歳三についてが中心でした。多摩地方は…
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保阪正康が語る昭和史の謎

今日は、オンライン講座「保阪正康が語る昭和史の謎~真珠湾攻撃から80年、その歴史的検証」を受講しました。 保阪さんは、冒頭で半藤一利さんのことに触れ、半藤さんが「昭和史というものは人類史の中で他の時代と比べてもさまざまな問題があると同時に全ての歴史の問題は昭和史の中に解答がある」と言っていたと言います。そして、半藤さんが亡くなって懸念…
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宇喜多秀家のこと

今日は、恒例の村井重俊・「週刊朝日」編集委員を講師にしたオンライン講座でした。テーマは、『豊臣家の人びと』の宇喜多秀家でした。村井さんによると、宇喜多秀家について研究している人は大西泰正さん一人ということでした。私は宇喜多秀家がテーマと知ってから、木下昌輝さんの『宇喜多の捨嫁』と『宇喜多の楽土』を読み、大西泰正さんの『宇喜多秀家』も…
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79年目の12月8日

「帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と午前6時の臨時ニュースとしてラジオで流されたのは1941年12月8日のことでした。いわゆる「太平洋戦争(大東亜戦争)」の始まった日です。79年前のことです。 多くの国民が喝采を送っていた中で、戦後に東大総長になった政治学者の南原繁は《人間の常識を超え学識を超えておこ…
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横山城址

今日は、《愛教労城の会》で長浜市の横山城址を散策しました。横山城は、北近江を支配していた京極氏の支城として築城され、後に浅井氏のものとなります。有名な《姉川の戦い》の時に、城を明け渡して織田方の木下藤吉郎が小谷城攻めの拠点としました。 330mの山城です。参加者の中に山城の専門家がいて、私たちが見逃した「堀切」などを教えてくれ…
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夜叉ヶ池伝説

今日は、岐阜市加納町の古文書解読講座でした。テキストは「水戸天狗党連行記」という幕末期の史料を使っています。講師の田中 豊先生の人柄に魅せられて10年近く通っています。導入で揖斐川歴史民俗資料館の特別企画展の紹介があり、そのパンフレットに《池の姫におくる土産物古文書》がありました。先ずは、その解読から始まりました。 ーーーーー…
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坂本龍馬の命日

今日は、坂本龍馬の誕生日であり、そして命日でもある。それを意識してなかったのですが、散歩ついでに立ち寄った書店で『坂本龍馬と高杉晋作』一坂太郎(朝日選書)を買ってきました。坂本龍馬といえば盟友の三吉慎蔵です。あの薩長同盟成立の夜に幕府の捕吏から逃れた《寺田屋事件》の二人です。その三吉慎蔵の子孫の方のブログが貴重な情報を書いています。 …
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あどけない空の話

二本松藩は、戊辰戦争の時に《二本松少年隊》の悲劇にあるように、西軍=新政府(薩長)に徹底抗戦して降伏しています。戊辰戦争では会津藩が《義の戦い》をしたように言われていますが、私は二本松藩の「義」に魅力を感じています。会津藩は、京都守護職として尊攘浪士や薩長と直接戦ってきたので最後まで戦うのは当然のことだと思うのです。しかし、二本松藩は小…
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二本松城址

今日は、二本松に行ってきました。先ずは城址公園を目指しました。ところがとにかく寒い。7日の浜通りは23度と暑いほどでした。塩屋崎灯台に登ったときは汗をしっかりかくほどでした。ところが今日は最高気温が10度ぐらいということでした。しかし、歩いているうちに暖かくなりました。紅葉も綺麗な二本松城址でした。 何回かの二本松城址でしたが、い…
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郷土史講演会

昨日は、午前中に岐阜市加納東公民館で開催された「郷土史講演会」に行ってきました。古文書でお世話になっている田中 豊先生が講師で《古文書に見る 明智光秀の正室・お牧の方の娘 ガラシャの事》でした。午後に朝日大学に行く予定があったのでWヘッダーでした。 田中先生は、大河ドラマなどで明智光秀の正室を《煕子》としているのは間違いだと言いま…
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中日文化センター講座

今日は、『保阪正康が語る昭和史の謎』のオンライン講座でした。《コロナから見る近現代史日本》のテーマで3回あります。第1回は、「西南戦争とコレラ、流行はいかに広がったか」でした。明治初期のコレラ流行については、『内務省の社会史』(副田義也)を手がかりに、日本各地からやってきた新政府軍兵士が衛生関係者の「帰郷を遅らせるように」と言う訴えを無…
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フェイクに騙されるな

『民衆暴力~一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野裕子(中公新書)に次のような記述があります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 自由民権運動の特徴は、国会開設の必要性を政府に訴えただけでなく、新聞の発行や演説会の開催といった言論活動をとおして、民衆にも幅広く訴えかけて、支持基盤を拡大した点にあった。(中略) …
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木之下城址跡と犬山城

今日は「愛知ウォーキング城巡り倶楽部(AWC)」で犬山城に入らない城めぐりをしました。犬山遊園駅から瑞泉寺⇒木之下城址⇒堀部邸⇒稲置街道⇒常満寺と廻りました。 瑞泉寺の山門は美濃国兼山城の大手門で犬山城内田御門になり、犬山城廃城のときに瑞泉寺に移築したものだそうです。 木之下城址は、文明元年(1469)に尾張の守護・斯波…
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紙芝居「お灸と指輪」

今日は、久しぶりに「捕虜収容所跡を残す会」の世話人会があり、8ヶ月ぶりに12人が集まりました。福岡友一さん制作の紙芝居「お灸と指輪」を鑑賞しました。その一部を紹介します。 有松裏に捕虜収容所が作られたのは昭和18年末(1943)でした。香港とフィリピンからイギリス兵とアメリカ兵が送られてきました。 町医者の棚橋龍三先生が薬品…
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ファミリーストーリー

NHK「ファミリーストーリー」は好きな番組です。有名人の先祖に思わぬ人がいたりすることに驚くことが多い。それにNHKの威力なのか史料が次々と登場する。昨夜は江川卓のファミリーストーリーだったが江川本人が知らない親戚が居たり面白い展開だった。それにしても、それらの事実が分かるのは、明治や江戸時代の史料が今も残っているからです。 昨今の権…
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愛知ウォーキング街道巡りクラブ(AWK)セミナー

今日は、刈谷駅前で開催されたセミナーに参加してきました。城巡りのAWCの姉妹版です。中心になっているのが同じ七種英康さんです。私自身はウォーキングすることが目的です。今日のセミナーは「ゼロから学ぶ愛知の街道と宿場町」のテーマで設立集会のようなものでした。ほとんどの人がAWCにも参加している人のようです。 愛知県内には東海道に9…
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水戸天狗党連行記

今週は出かけることの多い週になりました。月曜日は、私たち夫婦と友人で飲み会をしました。水曜日は、《似顔絵教室》で栄、教育サークルで東別院。昨日は、テニスでした。そして、今日は2ヶ月ぶりの《古文書の会》で岐阜まで出かけてきました。先月は、愛知の感染者が増えている時期だったので《古文書の会》はあったのですが私自身が出席を自重しました。 前…
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愛知ウォーキング城巡り倶楽部

今日は、《愛知ウォーキング城巡り倶楽部(AWC)》の「愛知に残る2000以上の城跡の調べ方、巡り方、楽しみ方」という講座に参加しました。 コロナ禍で半年ぶりの開催です。 《城の歴史》では、「天守閣と石垣」を城と思っているが古代の吉野ヶ里遺跡(環濠集落)も城ですよ、ということでした。そして、城の種類として城・砦・館・陣跡・陣屋・代…
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8月15日

昨日は、《「終戦記念日」を前に野坂昭如の『《終戦日記》を読む』を読んでいます》と書きました。著者の野坂は「8月15日は、玉音放送の日でしかない」と書きます。「終戦」ではなく「敗戦」だという人もいます。 野坂は、「外敵に侵入されたことがなく、日清、日露で、何となく時の利を得て勝った、ぬぼれのぼせた、文明の、ごく上っ面のところで、先進…
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広島・原爆忌

今日は、8月6日。1945年、太平洋戦争で広島に原爆が投下された日です。慰霊式では、毎年、小学生による「平和への誓い」が読み上げられます。今日の「平和への誓い」は、次の通りです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の町。75年がたった今、広島の町は、人々の活気に満ち…
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徳川宗春と吉宗

今日は、久しぶりのお出かけです。岐阜の《古文書の会》に参加してきました。コロナ禍の所為で年配の方の多い学習会なので、今日はいつもの半分ぐらいの13人の参加でした。「明智光秀」や「忠臣蔵」などに関係する史料をテキストにしてきて、現在は一宮市の「加藤家文書」で《文久三年の状況報告》の手紙です。でも、今日は弥富市の「服部家文書」にある《武陽禁…
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NHKスペシャル『関東大震災と朝鮮人~悲劇はなぜ起きたのか』

先日の大学での講義で関東大震災のことを取り上げたので関連書籍をよく読みました。今日は、録画してあったNHKスペシャルを見ました。 1923年の関東大震災。混乱のなか流言が広がり、多くの朝鮮人が殺害された。中央防災会議は2009年に国の機関として初めて事件を分析して『関東大震災報告書』としてまとめた。それによると軍や警察、新聞も一時は流…
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NHKスペシャル「狂気の戦場ペリリュー~忘れられた島の記録」

『楽園のゲルニカ~ペリリュー』8巻を一気に読みました。ペリリュー島は、フィリピン・ミンダナオ島の700kmほど東にあるパラオ諸島の一つです。太平洋戦争末期にアメリカ軍がフィリピン・マカオ奪還の拠点とするために上陸してきました。3日ほどで制圧できると考えていた米軍海兵隊でしたが9月15日から2ヶ月以上の激戦となり、日本軍は戦死者106…
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作文集『尼崎のこども』

資料を探していて、本来の目的である資料ではなく別のものが出てくることがよくあります。今回は、1955年の《作文集『尼崎のこども』第六回尼崎市教育祭記念》に掲載された小学校2年生の時の「赤とんぼ」という詩が出てきました。 --------------------------------------------------------…
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面谷鉱山跡

面谷鉱山は何を発掘していたのかが気になって調べてみました。石碑のあった墓のもっと先に村(住宅跡)があったことがわかりました。平家岳の登山口があるので結構人が立ち入るようです。youtubeで検索するといくつかの映像が見ることが出来ます。 https://www.youtube.com/watch?v=gGkCJ47XT1E 面谷鉱山…
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100100年前のスペイン風邪の石碑(その2)

今日は、福井県大野市まで行ってきました。地名だけ聞くと遠くに出かけたように思えますが九頭竜川の上流で岐阜県郡上市の隣です。5月6日に書いた「スペイン風邪の碑」を実際に見に行ったのです。ネット上で実際に行った人のブログでは案内板があるように書いてあったのですが見つけることができませんでした。6時半に出発して、9時過ぎに着きました。しかし、…
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吉田城址(豊橋公園)

吉田城は、1505年に今橋城として築かれました。この地域は軍事、経済的に東三河地方の重要な地理的位置にありました。1564年に松平(徳川)家康が攻略し、酒井忠次を城主にしました。その後、池田輝政も11年間城主でした。徳川幕府になってからは譜代大名の支配地となりました。城の東側を吉田川が流れ、自然の堀となっていたことや水運の便がいいこ…
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100年前のスペイン風邪の石碑

中日新聞に100年前のスペイン風邪のことを記録した石碑のことが掲載されたと知人が教えてくれました。石碑の写真から文字起こしをしてみました。写真の解像度がイマイチなので読み取れない文字もあります。福井県大野市面谷というので遠いと思ったのですが、郡上八幡の隣ということなので動けるようになれば現地に行ってみたいと思っています。 ーーーー…
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