テーマ:捕虜収容所

棚橋龍三氏と捕虜収容所

日本福祉大学知多半島総合研究所の研究誌に「城山三郎と捕虜収容所」を発表して、その中に次のように書いた箇所があります。 ----------------------------------------------------------------------------- 嘱託医として診療にあたっていた棚橋龍三氏は、医薬品不足もあっ…
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城山三郎と捕虜収容所5

 (2)朗読劇「捕虜のいた町」再演  広報活動の一環として3年前に上演した朗読劇を再演しようということになった。天野鎮雄氏の賛同を得て再演の目処が立ったところで演出家でもある馬場氏が3年前の出演者に声をかけたところ大学生や社会人になって他県に在住する人からも熱意ある返答が来た。会場は、学習会と同じ棚橋家住宅を使わせてもらえた。チケット…
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城山三郎と捕虜収容所4

4.地域への広報活動  捕虜収容所跡を残す会は、「①収容所のポンプ小屋跡と思われる遺構を、何らかの形で残し、説明プレートを設置する。②小説「捕虜の居た駅」を書いた作家・城山三郎氏の事蹟を記した文学碑(あるいは説明プレート)を設置する」の実現を目指してその活動を広く理解してもらうためにイベントを企画していった。  同時に、私は城山三郎…
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城山三郎と捕虜収容所3

3.戦時中の捕虜収容所の概要  (1)全国に捕虜収容所設置 太平洋戦争中、俘虜(捕虜)収容所が日本全国に設営され、1945年8月15日当時32418人が収容されていた。 ------------------------------------------------------- 日本に抑留されてい…
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城山三郎と捕虜収容所2

1.『捕虜の居た駅』の朗読会  城山三郎の短編小説『捕虜の居た駅』の朗読会が名鉄有松駅前の東丘コミュニティセンターで開催されたのは2011年5月28日のことである。朗読は、名古屋で《あまちん》と親しまれている俳優・天野鎮雄氏が担当し、暖かくて深い語りに多くの参加者が感銘を受けた。同時に当時のこと知っている成田治氏(有松あないびとの会代…
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死者についての記憶

民俗学の小松和彦さんが「死者の《たましい》はどのように祀られていくのか。たとえば、わたしが死んだら、わたしの《たましい》は誰が管理するのだろうか。わたしの遺族だろうか。もしその遺族が《たましい》など存在しないと考えるとしたら、かれらはまったく《祭祀》しないのだろうか。それとも、その《たましい》に託されていたものを継承する別のやり方を考え…
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英連邦戦没者墓地

有松にあった捕虜収容所で22人が病気等で死亡している。その内の18名は英連邦の兵士・軍属だった。横浜・保土ヶ谷区に英連邦戦没者墓地があるので昨日行ってきました。墓地は4区画に分かれていて、イギリス、オーストラリア、インド・パキスタン、カナダ・ニュージーランドの4区画で1555人が葬られている。 きれいに清掃されていて芝生の手入…
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有松散策

昨夜の「退職を祝う会」に四国から参加したKさんと待ち合わせて 有松の捕虜収容所跡の案内と旧東海道の街並みを散策しました。 有松の東海道の街並みは絞りの店が建ち並びインスタ映えする ところです。町の外れには一里塚が再現されています。 街中には工夫された飾り物がありました。 絞会館に入るとマスコットキャラクターが鎮座し…
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毎日新聞朝刊 

今朝、新聞を取りに行くとポストに毎日新聞の切り抜きが入っていました。 先日の朗読劇についての記事でした。近所の方が入れてくれました。 2週間ほど前に、取材は受けていたのですがなかなか掲載されないので どうなったのかなと思っていました。 これで、中日・朝日に続いて3社が記事にしてくれました。 このことが保存活動に生かされるよ…
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朗読劇「捕虜のいた町」

捕虜収容所跡を残す会主催の朗読劇「捕虜のいた町」が有松・棚橋邸で 上演されました。棚橋邸は明治8年(1875)に建築され、戦時中から戦 後にかけて棚橋医院として使用されました。国登録有形文化財です。 棚橋邸の三間と土間を使っての上演でした。 上演後は出演者が出口前に並んで感謝の意を表しました。 アンケートに書かれた感想…
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朗読劇「捕虜のいた町」リハーサル

今日は、朗読劇のリハーサルを棚橋邸でやり、ほぼ一日中かかりました。 絞りの浴衣や着物を着ている若い人が多く街中を歩いていました。 ちょっと時間が空いた時に、散策をしました。 公園に冷泉為章の歌碑があったり、中町の地蔵堂を見学しました。 午前中は、出演者が初めて棚橋邸で練習をするので立ち位置や観客席 からの見え方など…
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「捕虜収容所跡を残す会」の記事

4月21日に開催した「捕虜収容所跡を残す会」の学習会の記事が今日の 朝日新聞朝刊に出ました。中日新聞が22日に大きく取り上げたのに私も インタビューを受けた朝日新聞が音沙汰なしだったのでどうしたのかなと 思っていました。 昨日、記者からいくつかの確認の電話があったり、編集部から電話番号 掲載の確認がありました。内容は、中日…
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松山のロシア兵墓地

先日の松山で「ロシア兵墓地」を訪れました。 私が「捕虜収容所跡を残す会」の活動をしていることを知っている友人の 案内で松山市内を廻った所の一つです。 日露戦争で捕虜となったロシア兵の墓地で、現在も地元の高校生が墓地 の整理や清掃をやっているそうです。 日露戦争の頃は、日本も弱小国で国際ルールを守っています。捕虜に対…
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朗読劇「捕虜のいた町」

21日の「捕虜収容所跡を残す会」の学習会が中日新聞(22日朝刊)に 掲載されました。大きな扱いでちょっと意外で驚きました。 昨日から6月9日の《朗読劇》のチケット販売が始まったのですが、有松 観光案内所に購入に来た人が多く居たということです。
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学習会と跡地見学

《捕虜収容所の歴史》と《城山三郎『捕虜の居た駅』》の学習会を しました。60名近い参加者がありました。市会議員も3名の方が 学習会に出席し、2つの新聞社が取材に来ました。 戦時中に小学生で捕虜を目撃した成田 治さん、戦後になって米 軍の物資補給を語った緒川さん、捕虜の治療にあたった町医者の 娘で診療所に捕虜が帰国するときに…
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杉原千畝広場

「捕虜収容所跡を残す会」の世話人6人で瑞陵高校前の杉原千畝広場の 見学と「文化のみち二葉館」に行って城山三郎さんの書斎(再現)を見て 来ました。 その後、栄の芸術文化センターのプレイガイドに案内ビラとチケットの扱い をお願いしてきました。
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旧桶狭間駅跡

ここのところ、城山三郎さんの別荘探しに明け暮れているのですが 最近、有力な資料を入手しました。「豊明台分譲地」の宣伝パンフレ ットです。 その宣伝文句に「桶狭間駅から徒歩二分」というのがありました。 桶狭間駅は、1931年から1935年まであったそうです。現在の中 京競馬場前駅と思っていたのですが違っていました。 駅のプ…
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捕虜収容所跡を残す会

有松に在った「捕虜収容所第2分所」の遺跡を残す会を立ち上げた のが昨年の10月でした。今日の世話人会で4月21日に結成の集 いを兼ねた学習会をすることを決定しました。 6月9日には、天野鎮雄さん、山田 昌さんも出演する朗読劇をやる ことも決まりました。 《捕虜収容所跡を残す会》が目指すことは次の3つです。 ーーーーーーーーー…
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有松に捕虜収容所があった

かつて、有松に捕虜収容所があったということを知ったのは城山 三郎さんの短編小説『捕虜の居た駅』の朗読を聞いたときでした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  戦時中、ぼくの一家は有松駅で下車して三十分ほどの農村に 疎開していた。中学生だったぼくは、毎日そこから勤労動員先で ある名古屋の工場に通っ…
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空振り三振

今日は、名古屋シネマテークに映画「スパイネーション 自白」を 見に行きました。東京で見た「共犯者たち」の姉妹編ともいうべき チェ・スンホ監督のドキュメンタリーです。 その前に、城山三郎さんの別荘探しで中京競馬場が出来た頃の 資料を探しに愛知県公文書館へ行きました。残念ながらありませ ん。そこで、側にある県庁にも行ったのですが対…
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城山三郎さんの別荘探し3

昨年来、城山三郎さんが戦時中・戦後に豊明に住んでいた場所を 探していたのですが先日、城山さんの弟さんの息子さんから貴重な 情報を得ることができました。 別荘は、中京競馬場に売ったということでした。ただ、場所はわから ない。林薫一さんが中京競馬場のメインスタンドの向かいだったと 言っていたそうです。 「城山三郎伝」を書かれた西…
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城山三郎さんの別荘探し・2

『城山三郎伝』西尾典祐(ミネルヴァ書房)に次のような記述がありました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 杉浦家では豊明村大字相米字敷田(現・豊明市相米町)の丘の上に別荘が あり、生活の主体はそちらに移していた。英一は、その家から三十分ほど歩 き、名鉄線有松駅から通った。駅の北側には臨時捕虜…
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城山三郎さんの別荘探し

2日に城山三郎さんの『指揮官たちの特攻』にある記述を書きました。 --------------------------------------------------------------------- そのとき、私たちが住んでいたのは、少し先に桶狭間古戦場を見下ろす ゆるやかな丘陵地。春には野生のツツジが咲きみだれる灌木や小…
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有松捕虜収容所跡を残す会

10月28日に「有松捕虜収容所」の保存のことを書いたのですが、今日は その世話人の会がありました。先日の学習会で世話人になることを了承し た人が8人いました。 発足した世話人が集まって、今後の活動を進めるために名称を「有松捕虜 収容所跡を残す会」と決めました。そして、役員を決めたのですが事務局長 にと強く要請されました。事務局…
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有松にあった捕虜収容所

城山三郎さんの『捕虜のいた駅』という小説の中に地元有松に戦争中に 捕虜収容所があったことが出てきます。それを元に高校教員の馬場豊さ んが戯曲を書き、朗読劇にしたことを聞いていました。 写真のように、収容所のポンプ施設らしき一部が残っています。その場所を 戦争遺跡として保存できたらという声に考えてみようと集まりました。 …
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朗読「捕虜の居た駅」

今日は、地元で開催された「城山三郎『捕虜の居た駅』の朗読を聴く集い」 に参加した。城山三郎さんが1961年に「小説中央公論」に発表した短編 小説に出てくる捕虜の居た駅とは、名鉄有松駅のことである。 戦時中(昭和18年頃)有松駅の北側の丘陵(現在の公務員住宅辺り)に 名古屋俘虜収容所第2分所(鳴海分所)があり、英米兵など200…
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