新十津川町開拓記念館

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明治22年8月、奈良県吉野郡地方が大暴風雨に襲われ、2403戸(人口12862人)の十津川郷は村の4分の1が壊滅する大惨事となりました。尊皇倒幕の功績もあった十津川郷なので政府の援助があり2489人が北海道に移住することになりました。新十津川町では、十津川郷のことを母村と呼んでいます。
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移住者は、十津川郷から高野山⇒橋本⇒堺⇒大阪と出て、神戸から船で4泊して小樽に上陸します。小樽から雪の中を歩き、新十津川まで来たということです。途中、樺戸監獄の囚人が幼児などを背負って助けてくれたというエピソードが伝えられています。
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移住直後は畑作中心でしたが水田が増えていき明治末期には米どころとなりました。そのような苦しい開拓生活の中でも村の未来を背負う子弟への教育を忘れなかった。
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奈良の十津川郷は、幕末期に十津川郷士を生み出したところです。大学で尊皇攘夷運動を研究していた私は教員採用の受験先を十津川と茨城・水戸を候補にしていました。十津川(奈良)は地元の兵庫県と同日だったので受験はしなかったのですが親近感があります。

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