50年来の記憶違い

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高校野球には並々ならない想いを持っています。甲子園球場が近くに
あったことや高校時代に応援団員だったからです。
古希を過ぎた今でも愛知大会はもちろんのこと甲子園大会にも足を運
ぶほどです。
昨年は、石川県能美市にある「栄冠は君に輝く」の歌碑を訪れました。
この歌碑について原稿を書いているところですが、大変なことに気付き
ました。大きな勘違いというか思い込みの間違いに気付いたのです。
私の高校(尼崎北高校)は当時、野球部が強くて甲子園大会にも出場
するような高校でした。
兵庫県大会ではベスト8ぐらいの強豪校と言ってもいい野球部でした。
ただ、私が在校中は育英高校に鈴木啓示投手(近鉄バッファローズの
エースで300勝投手)がいて、夏の県大会では2年連続で育英高校に
負けてしまいました。
私が3年生の時に、春の選抜大会で沖縄のコザ高校の応援を頼まれ
ました。前年の大会で応援団が表彰されていたからです。
このことで、大きな勘違い(記憶間違い)があったことがわかりました。
私はコザ高校の相手が下関商業とばかり思っていました。
下関商業と言えば、池永正明投手です。プロ野球に進んで西鉄ライオ
ンズのエースとなって5年間で100勝を超える活躍をしました。
ただ、「黒い霧事件」に巻き込まれて野球界を永久追放されてしまいま
す。福岡でスナックを開業していることを知っていたので訪ねて行った
ことがあります。
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そこで、コザ高校のことを話したのですが、池永さんは「コザとはやって
ないよ」と言いました。それでも、私は池永さんが忘れているのだと思っ
ていました。
そして、今回、原稿を書くために資料にあたっているときに、下関商業
が選抜大会で優勝したのが1963年で、その夏の選手権大会で準優
勝していることがわかりました。おまけに選手権大会で下関商業は沖縄
代表の首里高校と対戦しているのですが、池永投手はケガのために登
板してなかったのです。
私の記憶では、選抜大会だったので年代が合いません。1964年の選
抜大会にも下関商業は出場しているのですが肝心のコザ高校が出場し
たのは1965年なのです。
1965年だと私は3年生です。池永さんは私より1つ年上です。
そんなことが分かって私は茫然としました。
ところが、コザ高校の資料から事実が分かりました。
コザ高校は、1965年の選抜大会に特別選考で出場して、1回戦で岡山
東高校に2安打散発で完封負けを屈しています。そして、岡山東高校は
優勝していました。
その岡山東高校のエースが平松政次と分かったときに池永さんと間違っ
ても仕方ないと思いました。平松政次投手は、プロ野球の大洋ホエール
ズ(現在の横浜球団)のエースとなり200勝投手です。

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